◆カンボジア案内 |
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官庁 : 7:30 - 11:30 am, 2:00 - 5:00 pm. | 商店 : 7:00 am - 7:00 pm. |
企業 : 8:00 - 11:30 am, 2:00 - 5:00 pm. | 銀行 : 8:00 am - 3:00 pm. |
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![]() 現在の国旗は、1948年から1970年までにかけて公式に採択されたもので、 1993年9月24日の君主制の復活の日に再び採択されました。中央の紋章はアンコール・ワットの塔を表しています。 クメールの世界観では、お寺の台座は、世界の創造主であり王の祖の守護神である"慈悲深き神"、 カンブルの最高の聖地、宇宙の構造の源であるメル山を表しています。王は空と大地、神と人との仲介者だったのです。 現在では、国旗には、クメールの君主制のモットーである"国家、宗教、王室"の3つが反映されています。 |
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カンボディアは熱帯に位置するため、年間を通じて極めて豊富な太陽の恵みを受けています。平均気温は摂氏27度です。最低平均気温は摂氏17度です。 相対湿度は夜のほうが高く、通常は90%以上となります。昼間の平均湿度は80%です。 季節は、雨期と乾期の2つに分かれます。 南西の季節風のために、多湿な雨期が4月から10月まで続きます。気温差は摂氏17度から27度までで、湿度は90%まで上がります。ほとんどの雨は山岳地帯に降り(年間5000ミリ)、 プノンペンの雨量は年間で平均1400ミリです。 涼しい乾期は11月から3月まで続きます。12月から1月が、最も涼しい期間です。 最も暑い月は4月で、気温は38度まで上がることがあります。 |
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広大な熱帯性ジャングルと雨林が広がっています。 それを取り巻く山脈と地下水系により、カンボディアの建国の中心となった広大な谷が形成されました。 クメール国家の歴史では、地理的特性が重要な役目を果たしています。 | |
●川と湖 | |
世界で12番目に長いメコン川が、チベット高原のヒマラヤ山脈から南シナ海まで4,425キロメートルを流れています。 中国、ミャンマー、タイを通り、北はラオスとの国境から南はベトナムとの国境までカンボディアを流れ、無数の水田を潤してトンレサップ湖(内陸湖)に注いでいます。 トンレサップ湖(別名、大湖)とトンレサップ川は、世界中でここでしか見られないユニークな現象を生み出しています。年に一度、流れが逆になるのです。 プノンペンは、メコン川がバサック川およびトンレサップ川と交差する、チャトムク(カンボディア語で"4つの顔"という意味)と呼ばれる縁起の良い場所に建設されました。 | |
●山脈 | |
プノン・ダングレック、つまりダングレック山脈が北の国境にそって走り、 バッタンバンの南西にはプノム・クラヴァン、つまりガルダモン山脈が、 プノンペンの東と東南にはプノン・ダムレ、つまりエレファント山脈が走っています。 首都の東のカンポン・チャング州とカンポン・スプー州の間には、カンボディアの最高峰1,813メートルのプノン・アロラル山がそびえています。 | |
●森林 | |
カンボディアの西部および北西部にはいくつかの手つかずの雨林が残っており、希少な樹木の宝庫となっています。 1993年11月に、国王は王室命令"保護地域の設置と指定"を発布し、340万ヘクタールに及ぶ地域を23の保護地域に分け、それを国立公園、野生動物のサンクチュアリ、景観(文化財)保護地域、多目的地域の4つに分類しました。 |
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カンボディアの歴史は伝説から始まります。2000年前のある夜、1人の神がインドの若者のもとを訪れます。
神はカンディーニャというこの若者に"弓を探し、船に乗って太陽の昇る方向へ漕ぎ出せ"と告げます。
偉大なインドの賢人カンブの子孫であるカンディーニャは、次の日の朝、寺院に行きます。
そこで彼は弓と矢筒いっぱいの矢を見つけます。カンディーニャは船に乗り込み、風に運ばれて象の背に支えられた海を渡ります。
彼は、美しい女王ウィローリーフ(ナギの王女ソーマ)が治める地の岸にたどり着きます。
女王はカンディーニャを撃退するために戦闘用の小舟を出します。
しかし、カンディーニャの矢に射られ、女王は降伏します。彼らは結婚し、プノンまたはフナンと呼ばれる最初のカンボディア王国の王朝が生まれ、ヒンズー教の習慣や慣習法上の伝統、サンスクリット語などが紹介されました。 フナン王朝は6世紀の中頃にクメール王朝に引き継がれ、東南アジア地域を600年以上に渡って支配したクメール帝国が出現しました。 インドの影響を受けて、2つの主要な文明の中心地が発達しました。古いほうは(プロム)フナンと呼ばれ、その帝国はタイ湾周辺地域を支配しました。2つ目はメコン川流域の中頃にあり、チェン・ラと呼ばれて、カンボディアの国名の由来となったカンブジャ王朝の発祥の地となりました。 チェン・ラは6世紀以降、フナンを支配化に置いていましたが、カンボディアは200年近くに渡って独立した王国に分裂した状態が続きました。インドから伝わったものはすべてカンボディアの住民に取り入れられ、東南アジアで最も輝かしい文明の1つが生まれたのです。 アンコールを作ったのは国王ジャヤバルマン2世です。彼は800年ごろ、その指導力の下にすべてのクメール人を統合し、カンボディアの北西部、大湖トンレサップの北に首都を建設し、カンブジャの王としての王冠を戴き、ヒンズー教を取り入れました。 クメール王朝勢力の真の創設者、インドラバルマン王は、ロレイ湖という人工湖を作ってロルオス地域を耕作地に変えました。彼の息子、ヤコバルマンは少し北西寄りのアンコールの中心に新しい首都を建設しました。 彼は、バクヘンのプノン(丘)の周辺に巨大な人工湖を建設しました。バクヘンの頂上には、プノン・クロムやプノン・ボクと同様に壮麗な砂岩の寺院を建造しました。ラジェンドラヴァルマン王はアンコールに戻り、丘を利用した壮大な寺院プレ・ルプの山に建造しました。 この王朝の最後の統治者はジャヤバルマン5世で、彼はタケオ周辺に新しい首都を建設しました。 11世紀は、アンコールを奪取し、輝かしい王朝を設立したサルヤバルマン1世の統治から始まります。彼がシャム・デルタを征服したとき、王宮アンコール・トムが完成しました。 彼の息子たちがその後を継いでまもなく、激しい争いで王朝は崩壊への道をたどりました。 次の世紀には、新しい王朝が設立されました。最も輝かしい王、サルヤバルマン2世は、シナ海の沿岸地域からインド洋沿岸地域にまでその権力を広げました。彼がアンコール・ワットを建造したころ、クメール文明は内部闘争やシャムからの攻撃などで衰退の兆候が見えていました。ジャヤバルマン7世が王位を継ぎ、南インドシナ全域を支配しました。彼は首都アンコール・トムを建設し、200個の石の顔をもつバヨンを建造しました。彼の後を継いだ王は、先祖たちの壮大な仕事に打ち負かされてしまいした。 クメール人は次第に仏教徒に改宗していき、神に選ばれた王の栄光を忘れていきました。14世紀の終わり以降、シャムによる侵略が始まりました。国家の繁栄の鍵となる広大な灌漑システムは、強力な中央集権体制の下でなければ機能しないため、次第に絶望的な状態へと落ち込んでいきました。クメール帝国の力は衰退し、1431年に王はアンコールを捨てることを余儀なくされ、カンボディアの中央部に退却します。そこから、現代に続く国家の歴史の新しい局面が始まったのです。 1434年に、カンボディア国王プレア・バット・ポンヘアヤスはスレイ・サントルからプノンペンに首都を移しました。 1867年に、カンボディア国王プレア・バット・ノロドムは首都ウドンからプノンペンに戻りました。 |
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